三六試FA乙型 開発ネーム"鈴虫"は、後に制式化され三八式一型"榴雷"となった三六試FA甲型と競合試作されたFAである。 日本防衛機構の主力FA 三二式"轟雷"はバランスに優れた機体であったが、次々に投入される月界軍の新鋭機の前に火力不足が顕著になっていた。 そこで日本防衛機構は三二式に随伴、支援する新型FAの開発計画"三六試FA開発計画要求"を立案し、各方面へ開発プランの提出を打診した。 "三六試FA開発計画要求"では同年に制式予定の新型砲(後に"六七式長射程電磁誘導型実体弾射出器[LR-PSC]"として制式化)を二門搭載し、 三二式の作戦展開に応じて同砲の火力を適切な時と場所に投射できる機動力を確保することが求められていた。 提出された開発プランから有力なものは試作機も作られたが、三二式に新型砲を搭載する堅実案(三六試FA甲型)に対し、 挑戦的な案として挙がったのが四脚案(三六試FA乙型)である。 乙型は三二式の下半身二機分を組み合わせて四脚化したフレーム上に新型砲二門を搭載するという自走砲に近い設計思想であった。 上半身を廃することで武装換装による戦況変化への対応性はスポイルされたものの、四脚化と低い砲装備位置によって安定した砲撃能力を獲得し、 小さい前方投影面積による被弾率の低下および隠蔽性の向上も果たしている。 加えて脚部の装輪化を行なうことで三二式を大きく上回る機動性を発揮し、フレキシブルアームを介して装備された可動装甲による高い防御力も相まって 後方からの火力支援のみならず、三二式の近接支援をも行ない得る高性能機となった。 その機体シルエットから開発ネームは"鈴虫"と名付けられ、各種試験に回された。 性能試験の結果は良好で、特に三二式2機+試験機の編成による3対3の模擬戦闘では敵三二式の2機を圧倒、 競合相手の三六試FA甲も重装備のため機動性が悪化していたこともあり、一方的に撃破するなど戦闘面では高い評価を得た。 その一方で三二式すら数が揃わない現状で三二式の3倍に迫る製造コストを要し、四脚化に伴う整備の複雑化、 三二式とあまりに異なる操縦特性による機種転換訓練時間の増大、狭小な日本都市部での戦闘には投入困難とされるなど運用面では多くの問題が指摘された。 加えて"鈴虫"にとって致命的だったのは、上層部より「前線将兵の心理的影響への懸念」が言及されたことである。 つまりはその機体シルエットが「本土防衛に当たる戦闘兵器として不適格」と見なされてしまったのだ。 これらを受け日本防衛機構は三六試FA甲型を三八式"榴雷"として制式採用し、試作された3機の"鈴虫"は解体されることとなった。 そんな折、中国北東部大連に月面からの降下艇が落着、侵攻が開始されたとの連絡が入った。 大連は日本にとって大陸への玄関口であり、アジア諸国間の連携を強化すべき状況を鑑みて同地への援軍が決定された。 しかし日本防衛機構としても国内の防衛で手一杯であり、特にFAについては慢性的に不足しているため 解体処理されるはずだった"鈴虫"を急遽同地に派遣することとなった。 派遣にあたり"鈴虫"には機体後部に多弾頭ミサイルランチャー8基と機体下部に近接用の3連装ガトリング砲を追加装備され、 脚部には三八式一型用の追加装甲も施された。 戦線に投入された"鈴虫"は広大な戦場で機動力を遺憾なく発揮し、多弾頭ミサイルの制圧射撃によって混乱した敵戦線へ突撃、 高威力の六七式LR-PSC二門での近接射撃を敢行して主力の三二式部隊が突破に成功するまでの攪乱任務を効果的に遂行した。 激戦の結果、3機の鈴虫は全損となったが大連の降下艇の撃破は成功し、主力部隊の損害も低レベルに抑えられたことから、 重装甲高火力の機体による近接支援の必要性が見直され、"鈴虫"の可動装甲を"六五式・防弾重装甲"として採用、"榴雷"に装備されることとなった。 また、近接戦闘に備え"鈴虫"のメインカメラとして装備されていた遠近両用の光学照準器も"榴雷"に転用された。 これらの改修を行なった機体は"榴雷・改"と呼ばれ、前線では高い評価を得ている。